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養蚕住宅 新築・満100年記念【再々更新】2013-12-19 [明治42年分家 新築 満100年記念]

新築100年の自宅_031221_100222.jpg

 新築してから満100年、明治時代の養蚕専用住宅。
 養蚕は皇居内の養蚕所の蚕を養蚕試験場や蚕糸組合で養殖で数を増やしてから、全国の養蚕農家に分配して飼育してた。
 大正10年代に飯山鐵道が信濃浅野ー北飯山駅間まで開業するまで三井財閥の養蚕担当の方が馬車で(繭切り)や生糸を買い付けに来てたり、大日本紡績(株)一ノ宮工場(現 静岡県富士宮市)の募集事務所をしてたのも昔の話だろうか。
 毎年、旧正月の節分に桑の木を天井に吊るして、餅米を団子にした繭玉や米粉を練ってつくった大判や小判を小枝に飾って豊収を祈った。

 本家から分家した曽祖父は、国文学者だった高野辰之博士が文部省の依頼で当時の赤門(加賀・前田藩の上屋敷で現 東京大学)の養蚕講師を探していたところ、スカウトされて数ヶ月間だけ上京し講師を務めたこともあったらしい。

 右の写真は2003年に携帯カメラ(2Mピクセル)の、試し撮りも兼ねて撮影した記念写真の1枚。

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 ちょうど、佐久市に転居した自分の弟夫婦の美容室開店祝いに、父・自分の妹・自分の3人で出かける直前に、玄関前に見送りに出てるところを助手席の後部座席から撮影した。写ってる人物は背中姿の60歳代になった母(かあちゃん)で、化粧してないんで振り向かれてしまった。ちょうど信州大学付属病院(松本市)で8時間の骨接ぎ手術をして退院した直後なので首にギブスを巻いている。

 新築当時は、総樫の木造り桧皮葺板張りトタン屋根で真っ白な漆喰が壁一面の塗ってあったけど、長野空襲で旧国鉄長野機関区が空襲されたので飯山・長岡の両機関区も空襲される危険があって飯山線沿線の住宅が灯火管制の対象になり、上空から目立ちやすい白壁は剥がした。
 翌年の2004年に旧村の下水道化事業が完成して、玄関内の土間部分にユニットバスと水洗トイレを新設した。

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 Google3Dマップのストリート・ビューに写っている自宅の映像はNTTの社員の方が県庁からの依頼で営業がてら、NTTが技術の粋を集めて開発したミラーボール型の特殊立体撮影カメラを使って、県内にある国道・県道の両側の住宅だけ撮影してアップロードしたものだそうだ。
 旧主要地方(県)道 ・上今井停車場 安源寺線(県道505号開通後は、旧村道になり合併後に市道になった。)に面してるので太陽の直射日光が反射して、けっこう綺麗にストリート・ビューに写ってて新築100年の記念になった。

 養蚕住宅は当時の組合の指定業者が建築したらしい。当時の金額で40万円00銭、今の値段だと単純計算で4千万円したそうだ。
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 10年間、養蚕を続けることを条件に国庫補助50%の20万円00銭で建築できた。10万円00銭は本家と分家で用意して、残りの10万円00銭は鴻商銀行(現 八十二銀行 飯山支店)からの借り入れ10年かけて完済した。






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